皆さん「コラージュ川柳」をご存じだろうか。「コラージュ川柳」とは、作家の柴田英昭氏によって考案された新たな川柳である。ルールは至って簡単。新聞やチラシなどの印刷物から5文字か7文字の言葉を切り抜く。それらを5・7・5で組み合わせて、一つの川柳を詠む。出来上がった川柳は、予想のできない言葉の組み合わせがなんともシュールで特徴的である。コラージュ川柳に関するさらなる詳細はこちらをご覧いただきたい。
ということで私たちもコラージュ川柳を作って歌会をリモートで開催してみました。さっそく作品をご覧ください。
かまぼこくらぶの作品①
参加者のコメント
なべ
この歌人は何の大会の予選に落ちたのか、そもそもコバン犬とは何なのか、なぞの多い作品である。「跳ねてくれない」という箇所からは、大会当日、周囲の注目を集めるなか、思い通りに動かない相棒への歌人の焦燥を感じることができる。そして、それをものともしないコバン犬のこの表情。憎らしくも愛しい。
裸の王様
「コバン犬の尻尾が3本もあるやんけ!」と思ったら残像だった。ちなみにコバン犬は課金制なので小判を与えないと跳ねてくれません。
まそ
あるサイトによれば、犬が跳ねるのは興奮したときであるとされている。飼い主と思われる人物の「跳ねてくれない」という嘆きがみられるが、この犬は飼い主の指示ではなく自らの感性に忠実で、そのことがたまたま今回は裏目に出てしまったようである。
白桃
大きな「予選落ち」から始まるこの一首。跳ねてくれれば予選通過できたかもしれないのに、と飼い主は思っただろう。しかし、当の本人(犬)こんなにも楽しそうに尻尾を振っている。そんな人間と犬の感情の差が面白い。
かまぼこくらぶの作品②
参加者のコメント
なべ
「無料」や「キャンペーン」といった言葉に踊らされてはいけない。その内容は鮭をほぐす様を見せつけられるだけというものなのだから。
頭の鮭ほぐし、というなんとも和やかな語感で油断させて、無料公開のキャッチーな赤色を中央に持ってくることで、読者をすっかり惑わせる。
この歌人、なんとも恐ろしいセンスの持ち主だ。
裸の王様
主張の弱い控えめな「キャンペーン」が魅力的な作品。
まそ
これに対して鮭は、「我々はあくまで有料での公開を望んでいる。」と反発しています。
白桃
「未来の人類は顎が退化し、アリクイのような輪郭になり、流動食を摂って生きるようになる」という文章を読んだのを思い出した。私たちが今当たり前に食べている鮭ほぐしでさえ、将来、過去の食べ物になり、大衆の目の前に「公開」されるような存在になってしまうのかもしれない。
なべの作品①
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
草履を温めて出世したあの秀吉でさえ、「めんどくさい」と思うことがあるのか。その理由がスキンケアである。遠い時代で全く違う境遇を生きた秀吉がなんだか身近に感じられる。
裸の王様
「めんどくさい」という発言は一読して秀吉のものであると思われる。しかし、精読すれば秀吉の死後に彼の死化粧を施した人物の発言であることが窺えるだろう。秀吉の死化粧に対するこだわりが人一倍強かったのだ。一説には金箔をまぶしたとされる(されない)。
まそ
初めてのスキンケアの思い出を、秀吉はとうに忘れ去ってしまったのだろうか。この句は私に「初心忘るべからず」ということわざを想起させる。
白桃
人間は変なところで平等である。天下人でさえ、スキンケアを怠れば肌は荒れるのだ。現代のオールインワンを献上したら、大出世できたのではないだろうか。
なべの作品②
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
「画面越し」から始まり、なんだ? 何が画面越しで行われるんだと思わせておき、最後にそれが通常対面で行われるべき「ひじタッチ」だと明かされる。この「画面越し」と「ひじタッチ」の違和感がこの句の魅力だ。それが郷愁を誘うものらしい。ひじタッチをしている人々がどのような状況なのか、大いに想像が掻き立てられる。
裸の王様
対面でのハイタッチは新型コロナウイルスの感染の拡大を招くという懸念により、その代わりに画面越しのひじタッチが推奨されている。そのような変遷に郷愁を掻き立てられる作品である。
まそ
画面越しのひじタッチを試みたこの両者は、パソコンに付属するカメラの位置が互いに微妙に異なっているがために、ヒジの位置の調整にさぞかし苦労したことであろう。そしてその苦労を経てようやくひじがジャストミートした頃にはすっかり感慨にふけり二人して郷愁の涙を流したのだろう。大変人情味にあふれた一句である。
白桃
日本にその文化がないだけで、「ひじタッチ」を自然に行う国はこの広い世界にあるのかもしれない。遠く離れた故郷にいる親や友人と、「画面越し」の「ひじタッチ」をする。こっちではそんなことしないんだけど、と言いながらも、故郷にいた頃が懐かしくてたまらない。
裸の王様の作品①
かまぼこくらぶ
「えっこれで!」は王様が言ったセリフだろうか。彼の驚きが感じられる。きっと彼は自分が裸であることにまだ気付いていないのであろう。原作ではせいぜい王様が恥をかくだけだが、裸で出歩くことが法を犯すことになるとはいかにも現代的で、物語と現実の混在しているような不思議な感覚を与える。
なべ
彼は昔話の世界から現代へと召喚されてしまったのだろうか。確かに公共の場で裸は不味い。しかし王様は凱旋中、現代へ強制的に飛ばされたと思われるので、情状酌量の余地はあると信じたい。
まそ
某日、サウジアラビアの王族らが宮廷クーデターを企てたとして逮捕されているが、そんな物々しさやきな臭さを一切感じさせない、のほほんとした雰囲気である。とはいえその可愛げな様子に気を許すことなく、王様は刑法に基づいて正しく裁きを受けられてほしいと一市民として思う。(どこの国か知らんけど)
白桃
「裸の王様」と括弧がつけられている。公然猥褻罪で捕まった男性の職業が自称「国王」な上に、「裸で歩くことが犯罪だと知らなかった」などと供述したとしたら……誰が信じるというのだろうか。哀れだ。
裸の王様の作品②
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
「はなれてたって」のチョイスがタイムリーである。この現在のコロナウイルスが流行している社会のなかでも贈り物を送ってワクワクしようという前向きな句だ。通販ショッピングのキャッチコピーとしても違和感がないだろう。
なべ
直接相手の喜ぶ顔を見れずとも、ワクワクは共有できる。現在の私たちに希望を与えてくれる川柳だ。
まそ
デパートのお中元か何かの広告と見まがってしまいそうな、優美な一句である。「はなれてたって」がひらがなで書かれているうえに、落ち着きのある赤を地としていて上品で可憐な印象が一層ただよっている。
白桃
2行目の背景の赤が、ラッピングのリボンを彷彿とさせる鮮やかさを持っている。視覚にも楽しいというのは、切り抜き川柳の醍醐味である。
まその作品①
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
倍増は嬉しいが腸に届いてほしい。
なべ
声に出して読み上げると語感が大変楽しい川柳だ。
倍増ということは、知らなかっただけで既にビフィズス菌は定期的にポストに投函されていたのだろうか。
裸の王様
ポストを開けるとどっちゃりと詰め込まれたヨーグルトが音を立ててこぼれ落ちる。大量のビフィズス菌にアナタの腸は耐えられるだろうか。
白桃
未だかつて、自分の家のポストを顕微鏡を使って見ようとした人間がいるのだろうか。というか、「顕微鏡を使ってポストを見る」って何なんだ。
まその作品②
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
ブルーベリーが主演のドラマとはいったいどんなドラマなのか、好奇心がかき立てられる。そりゃ見直したほうがいいが、ブルーベリー主演のドラマは見てみたいので見直さないでほしい、心に生まれた相反する気持ちに葛藤してしまう。
なべ
白黒の切り抜きとは思えないほど、色彩がありありと目に浮かぶ川柳だ。紫がかった青い実が想起される。
見直しの原因はブルーベリー氏の読み取りにくい表情だろうか。主演見直しのショックで青いのか、それとも、これがいつものブルーベリー氏の表情なのであろうか。
裸の王様
不祥事を起こしたドラマのキャストが降板になる事例が相次いでいる。作品に罪はないのに……という声も虚しく主演であるブルーベリーの不祥事とともにドラマの見直しが迫られる。
白桃
「ベリー」と名の付く果実は多い。ブルーベリーの他にも、クランベリー、ラズベリー、ブラックベリー……大御所・ストロベリーすら蹴落としてゲットしたはずにも関わらず、見直されてしまった主演の座。直接の原因はわからないものの、再びミックスベリーの一粒として埋もれてしまうという恐ろしい可能性すらほのめかしている一首だ。
白桃の作品①
参加者のコメント
かまぼこくらぶ
「淑女」と「ぎらつき☆占い」、この対照的な組み合わせが面白い。まさに初めての感覚だ。しかし「ぎらつき☆占い」とはいったい何なのだろうか……?
なべ
川柳の節々に現れる言葉の強さに驚く。けれども星を形容する言葉として、「ぎらつき」は最もふさわしい言葉なのかもしれない。だって燃えてるから。
裸の王様
まるで手で書いたような「初めてです。」の書体が魅力的な作品。見落とされがちだが、句点を付すことにより倒置法を強調する作者の意図が窺える(窺えない)。
まそ
「ぎらつい」ているものは☆占いかもしれないし、実は淑女かもしれない。また、句全体に散りばめられた不思議な響きが深みを醸し出している。
白桃の作品②
かまぼこくらぶ
マダガスカル、動物たちの楽園。全世界から沢山の動物たちがハイスピードでマダガスカルへ向かっていく光景が目に浮かぶ。しかしそこまでの道のりは決して楽なものではない。途中で命を落とす動物もいる。この一句はマダガスカルへ無事到着できた動物たちが最初にこぼした言葉なのではないだろうか。
なべ
斜めの句が醸し出す疾走感が巧みな川柳。この詩の主語となる者は何者で、なぜマダガスカルに向かうのだろうか。
裸の王様
「生きたまま こんなに速く マダガスカル」へ到達するとはコロンブスもマゼランもびっくり。インド洋の荒波を乗りこなし、南国の楽園へ辿り着いた航海士を称える作品。
まそ
70年ほど前、日本には「音速滑走体」をつくる構想があったそうで、東京大阪間をたった15分で移動できるほどの速さの乗り物を実験で走らせたことがあるそうだ。しかし、実験台としてそれに乗せられたカメやカエルなどはスピードに耐え切れずに死んでしまったそうである。
時は流れて2XXX年、東京マダガスカル間を1時間で結ぶ超高速移動物体が実用化され、一般向けの営業運転を開始した。これはその最初の便に搭乗した乗客が過去の試行錯誤に思いを馳せると同時に恐るべき技術革新に対して発した驚きと感動がこもった歴史的なコメントである。
いかがだっただろうか。ぜひ皆さんも挑戦してみていただきたい。良い句ができたら、こちらへ送ってください。私たちが講評します!
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